「みたけとんちゃん物語」
紙芝居仕立てにしてみました。
それでは「みたけとんちゃん物語」のはじまり!はじまり!
御嵩町は、中山道の長かった山岳地帯を抜けて、木曽路から美濃の平野部に出てきたところの東境にある、人口19,000人余りの小さな町。
400年前から中山道の宿場町として栄えた歴史を持つ、落ち着いた町です。
御嵩町の名物が「みたけとんちゃん」です。材料はブタのホルモン、タマネギ、ニラ。これに甘辛い味噌で味付けして、鉄板焼きにして食べます。「ど~ら~ うま~であかんわ!!」
えっ、とんちゃんは色んな地域で食べられてるって?いえいえ、それがみたけとんちゃん誕生の背景には、こんな物語があるんです。
時は昭和10年代半ば。
日本が戦時体制へと傾いていくと、外国からのエネルギー輸入が止まりました。そこで貴重な資源となったのが「亜炭」でした。石炭の純度が低いものといえば分かりやすいでしょうか。
御嵩町の亜炭鉱は明治期に発見され、最盛期には100ヶ所以上が操業して、国内生産の4分の1を産出していたと言われています。
御嵩町の亜炭を名古屋方面へ輸送するために、御嵩町と多治見市を結ぶトロッコ列車も敷設されました。亜炭を満載したトロッコ列車がガタンガタンと音を立てて行き過ぎる音は、当時の子ども達の耳に今でも残っています。このトロッコ列車が走っていたのが、後の名鉄広見線です。
さて、前置きが長くなりました。みたけとんちゃん誕生の秘話へと話を進めましょう。
御嵩町の亜炭鉱で働く労働者たち。暗く暑い坑道の中できつい労働に従事していました。
彼らが発明したのが、炭鉱採掘に使う大きなスコップの上で焼肉を焼くこと。それも高い肉ではなくブタのホルモンを使えば、安い上に栄養も満点。こうして「スコップの上でホルモンを焼く」みたけとんちゃんの原型が発明されたのです。
炭鉱景気が続いていた頃は、御嵩駅前にとんちゃん専門店も並んでいました。そこでは豚のホルモンにタマネギ、ニラなどを加え、ニンニクを利かせるという現在のみたけとんちゃんに近い姿が出来ていました。「ドブロクを飲みながら食べるとんちゃんは最高だった」と、今でも酒好きの大人達は目を細めます。
みたけとんちゃんは、この頃まで炭鉱労働者の食べ物として一部の人達に愛好されていたようです。しかしいつしか、これを家庭で試す人が出てきました。食べる前は抵抗のあったニンニク臭や濃い味噌味も、一度食べるとクセになる味としてまた食べたくなる。なにより安くて、栄養があっていい。各家庭でお母さん達が味付けの工夫をしながら広まり、今では「みたけとんちゃん」は町民みんなが愛する味になったのです。
さてここで、みたけとんちゃん発展会の登場です。私たちは、この「みたけとんちゃんを使ってまちおこし」を目指す有志の集まりです。メンバーは約20人、皆みたけとんちゃんと御嵩町が大好きなメンバーです。
みたけとんちゃん発展会は、毎月1回御嵩駅前で開かれる「エコビアガーデン」で、とんちゃんをふるまっています。熱々のとんちゃんを肴に野外で飲むビールは最高です!
そして私たちの夢は、みたけとんちゃんをもっともっと広めて、御嵩町の名物にすること。そしてトロッコ列車から始まった名鉄広見線に乗って町外からもとんちゃんを食べに来るお客さんが増えて、広見線も元気にすることです。みなさんもぜひ、とんちゃんが生まれた御嵩町まで「みたけとんちゃん」を食べに来てください。
みたけとんちゃん発展会の活動はこれからも続いていきます。
「みたけとんちゃん物語」は、まだまだこれから続いていきます。
みなさん、乞うご期待…!